(平成29年3月14日開催)第2回史跡長久手古戦場保存活用計画策定委員会
開催日時 |
平成29年3月14日(火曜日)午後2時から |
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開催場所 |
市役所西庁舎2階 第7・8会議室 |
出席者氏名(敬称略) |
(委員) |
欠席者氏名(敬称略) |
(委員) |
審議の概要 |
史跡長久手古戦場保存活用計画について |
公開・非公開の別 |
公開 |
傍聴者人数 |
5名 |
問合先 |
くらし文化部生涯学習課 |
会議録
あいさつ(委員長)小牧・長久手の戦いの漫画本が非常にわかりやすい。報告書ができたら、市民にわかりやすい資料、広報的なものができれば良いなと思った。
1 議題
史跡長久手古戦場保存活用計画について
【委員長】まず、1章・2章について修正などのご要望がある方お願いします。
【委員】全体に渡ることだが、14ページの「仏ケ根の決戦」、ここが決戦の舞台になるわけだが、記載の内容と実際に恒興らが戦死した場所について、長久手合戦の場合は、最初に布陣した場所について、家康方はわかるのですが、秀吉方の最初の布陣位置からすると、池田父子の位置関係が戦死した場所からすると逆転している。例えば関ヶ原の合戦場に行くと小早川がここにいました、などと最初に布陣した場所が明示してあって戦い全体が俯瞰できる形になっていますが、秀吉方は最初に布陣した場所がわからないので、そういった場所がわかる範囲で記録をとどめてもらうと後々、戦い全体を俯瞰する意味で位置関係が、史跡地ではないかもしれませんが、重要だなと思います。徳川家康が御旗山に布陣して、最後は前山あたりまで進んだと書いてありますので、今のまちづくりセンターあたりまでは、前に出てきている。そのあたりは史実で説明されている。一方で、井伊隊が森長可を鉄砲で狙撃している部分についても、鮮明に屏風絵図にありますし、布陣形態についてよくわかりますので、問題は、親子の関係とここから逃げていく池田家の次男の関係についても、歴史の専門家にもう少し分析して頂けると、場所の特定ができると現地で説明がしやすいなと思っております。
【委員長】厳密にしようとすると説明をしないということになるが、漫画がわかりやすいというのはそこにある。つまり、厳密さを求めすぎて、何も説明しないか、ある程度わかる範囲で説明していく。例えば、18ページの図。ある時間戦場の全部を一緒に書いてある。だから、これを全部切り出して、最初はこういう布陣で、次はこう移って、最後はこうなったというのをなぜ作らないのか。と思うわけです。場面ごと(布陣、戦闘部分、討死部分)に3,4に切り分けたらどうか。
【委員】わかりやすいと思う。屏風図を写すと、成瀬家に承諾をもらう必要があると思うが、想像して我々が勝手につくる分には大丈夫。
【委員長】屏風図を基にやろうと思うと厳しい。ですが、それができれば今分かっている地点と連動して、連携しながら想像できると思う。18ページの部分で何が分かりにくいかというと、史跡長久手古戦場というのは、長久手古戦場ではないですよね。古戦場の一部ですね。とてもわかりにくい。だから、まず長久手古戦場全体を説明して、そこでどういうことが行われたか、それで討死したところはここ、でそこに石碑が建っている。そこの動きを分かるようにして欲しい。どうせ展示を替えなければいけないので、展示をするときの一つのポイントですよ。(大阪城に行けばわかるが)どういう部将がこういうところにいたというのを出して、時間が経つと登場人物が変わるわけですよ。それで場所も変わる。説明は映像ですけれども。それが成瀬家の方は、映像がない時代の一枚の絵になっている。ですので、ぜひやっていただきたい。
【委員】ワーテルローに行った際、ナポレオンの戦いの再現を地元の方がやっておりますが、全く当時の動き方を再現している。歴史がまだ浅いので、残っているでしょうが、石碑自体はありますけれども、実際、戦場を再現する場合はまた違う展開ですすめているので、すごくわかりやすいなと思いました。長久手でもどの場所でどう戦いが動いたのか、別の資料で作ってしまえば良いと思うので、確証得たものを集めながら、検証していく必要があるのかなと、これをずっと研究していくのが、古戦場のあるまちの役割だと思いますので、そのあたり蓄積していただければと思います。
【委員長】蓄積しているといつになるかわかりませんので、とりあえず今分かっているものを使って、戦の臨場感が伝わるように、できる範囲でやっていただければと思います。他にはどうでしょうか。
【委員】1回目の議事録に通景の考え方とあるが、1ページに、現在、地域の人々によって守られているとあるが、それは石碑だとかを地域の人が触っているということなのか。
【委員長】それは大切にしてきたという意味ではないでしょうか。石碑だとかを。
【委員】それが阻害されている。遺跡だとかそういうものが、たたずまいを考えるとどう残していくのか、どう活用していくのかというのが大事だと思うので、例えば、当時のお堀とかがあって、遺跡だとかが残っているわけですから、これを通景という感覚で見るなら、やっぱりその後に全然触ってないわけですから、史跡と石柵というのは。写真を見ると昭和61年と平成28年では全然ロケーションが変わっている。御旗山というのがありますよね。御旗山は、岩崎城までを一望できたわけですよね。ここの戦い方が見える。ですが、御旗山の上に遺跡がありますが、遺跡からは全然見えなくて、戦い方はわからない。だからそういうものが想像できるものが。じゃあ今の形をどう残していくかとなると、やはり勝入塚から庄九郎塚までが通して見えたのが、雑木が生えていて見えない。昔は見えていたわけです。ですから、なぜ見えていたのかを、歴史を残すためにあったと思う。だからそういうものを残すためには、例えば、そのあとに生えてきたものは全部伐採するとか、間伐をして見えやすくしてとか、そういうのが大事じゃないかと私は思う。
【委員長】附の部分は、今おっしゃったような形で、後の部分は次年度やっていきますのでぜひまたご主張いただければと思います。
【委員】現況のところだが、48ページの、指定地の現況について、地形については重要で、地形の視点はあるが、現在使われている歩道や獣道のようなもののところの記載がない。現況どうなっているのかが次の整備のときに重要になってくる。だから、地形だけではなくて、今は地道になっているとか、かなり傷んでいるだとかをそういうことを現況として、記載して欲しい。そして、その報告書を受けて、次に整備するわけです。それともう一つ、50ページの現況植生ですけども、これはちょっとわかりにくいのは、例えば一番上のアカマツで樹高が12メートルで、目通りが1.6メートルで、それが42本というのがありますが、これが意味がよくわからなくて、同じものが42本あるわけじゃないですよね。すべてに言えるのですが、ここの本数というのは、どういうことかというのが一つ。これは次の年度の事業をやるときにもっと大きな図面の中で、樹種、樹木の位置、標高、胸高直径、まあ高さまではいらないと思いますが、標高、直径ぐらいが欲しいですが、そういうものがプロットされていて、この木をどうしようかという植栽管理にも関係するので、ここでは、まあ次の段階なんですけども、ここの表現がわからない。
【委員長】説明してください。
【事務局】アカマツ、H、C、Wと書いてあるのは、アカマツの幹周りが一番大きいものを指しています。
【委員長】それでは、そういう風に表示しましょう。そしたら、まず最初に本数を樹種の次に持ってきて、アカマツが42本あることがわかって、その次のところにH,Cが来ますので、その上のところに最大値、大きいものの寸法がこれです。という風に表を変えていただければ、まあ多少今の質問に答えることができると思います。
【委員】あまり意味がないですけど。
【委員長】せっかく作った表ですので。他にはよろしいですか。それでは、私から、計画策定の沿革と書いてあって、この計画を策定する沿革と最初に見出しを入れて、史跡がまずこういうのがあります。それで小牧・長久手の戦いがありました。2番目のところは、江戸時代に合戦の後、見出しをつけて合戦の後、江戸時代にこういうことがありました。そして3番目のところは、昭和14年に史跡になりました。ということですよね。それで、4番目は、しかし血の池公園の付近は指定解除されましたっていうのが、指定のところグループで、その後は、環境が変わりましたっていう、計画策定の沿革と、ぴっと小見出しを入れるか何かしてもらった方がわかりやすいと思いますが。それから、あと一か所。史跡長久手古戦場ということでずっときているけれど、今、樹木のところを、例えば47ページの指定範囲っていうところ、ここは長久手古戦場というだけになっていますが、「史跡」はいらないですか。抜けているのか。長久手古戦場はもっと広いのでは。
【事務局】指定されたときの名称で書いておりまして、指定文では、長久手古戦場とはここの部分を指します。あと、武蔵塚も入るのですが、武蔵塚についてはまだデータができていないので入れていない。
【委員長】史跡長久手古戦場とは書けないわけか。
【事務局】史跡長久手古戦場を、私たちは全体と捉えていて。
【委員長】そうしたらここはなんというのですか。史跡長久手古戦場、スラッシュ、長久手古戦場といれるのですか。
【事務局】はい。そのように修正させて頂きます。
【委員長】ここを見ると長久手古戦場はここじゃないの、となるわけで、反応してしまう。わかっている人はわかるが、わからない人が見ると違う意味で捉えてしまう。
【委員】今の件で言いますと、1章、2章で少し変えてもらわなければいけないところがあって、あまり言うといけないかと思いますが、計画策定の中で、指定されているものがありますよね。43ページに。だから策定の中に、指定されたということがあって、古戦場の概要に指定があってはおかしいです。だから、ここを策定するなかで、どうされていったか。委員長が言われたとおり、一部指定解除があったと、全体の史跡の中の流れがあって、2章は古戦場の概要です。だから、その中に指定のことを書く必要はないと、論理的に言えば。だから、おかしいです。古戦場の概要をして、また指定のことを書いている。でまたその後、周辺環境、だからここも2章の2,3というのは、1章の方に持って行った方がすっきりする。せっかく良いものがあるから、指定されたと最初に言った方がはっきりわかるわけです。それから、来年の事業に向けてやる場合は、色々な植生の話と、さっき枯損木のことも言いましたが、それ以外にも石碑の問題で、網羅的にやってもらった方が良いのではないかと、全ての石碑の状況を。ただ一本ずつ、それでも良いのかもしれないが、例えば、実生で生えてきた樹木は切らなければいけませんよね。まあ、そういう問題があるとか。擬岩にすると書いてあると思うが、まだそこまで書いてはいけないと思う。コンクリートとか破損した部分の修復をしなければならないというところまでで抑えてもらって、擬岩にするのか、取り替えるかというのはわからないし、そういうところは注意した方が良いと思います。
【委員長】今のは3章の話ですね。
【委員】すみません。あと、80ページの中で、法規制というのは、市の条例はないですかね。景観条例とかそういうのはかかってたりしないですか。国の法律だけで、市の条例にかかるものはないですね。将来的に景観条例とかはあるのですか。
【事務局】市の条例はないです。(景観条例については)まだ、ありません。
【委員長】では、3章以降の方に移らせてもらってもよろしいでしょうか。本日のメインだそうですが、まず3章の古戦場の本質的価値の説明があって、構成要素、保存の方針、課題等についていかがでしょうか。
【委員】御旗山とか、色金山とか、首塚というのはどういう位置付けですか。構成要素にないのですが。
【事務局】現状、資料が揃っていないということで、来年度、引き続き保存活用計画の策定委員会も設ける予定でして、その中で、石碑等の調査を行います。
【委員】本質的価値には入るのですか。今は入っていないが。
【事務局】入る予定です。今は古戦場公園部分の内容を完成させたいという思いがありますので、古戦場公園に関して記載している。
【委員】そうすると、その後の問題として、そういうことが書いてあるのですか。追加指定のことは書いてあったけれども、追加指定の事は今の範囲に欠けている2か所の部分で、今言った、他の御旗山とかはどういう扱いですか。
【委員長】合わせて一冊にしようとしているのですか。例えば、今で単独、次のも単独ではなくて、2カ年やって一冊にまとめるということですね。
【委員】わかりました。それと、気になっているのが、5章の中に保存管理の基本方針の中で、ここで何回も、特に現状変更のところは同じようなことを繰り返している。101ページの現状変更の取扱いですが、これは史跡の整備マニュアルでそのままやっていると思いますが、あれはあまり出来が良くなくて、文化庁でも使い勝手が悪いと言われていて、僕は現状変更の取扱いが保存管理方針の一部になっているというのか、保存管理方法の中に入っているというのが、気になっていまして、保存管理の方法は良いですけど、その中に、2番目として入っているので、これはもうちょっと重要なことなので、1,2,3ぐらいにした方が良いと思う。それと、この記述は同じ事を何回も繰り返していて、これは最終的には、105ページの表が重要になってきます。表の中に文化庁長官、法第125条とふちの方に書いてあるわけですけど、僕はこんなのはいらない。もしつけたかったら、説明として後ろに書いてもらったら良いと思う。ここの取扱い基準が重要で、この中で、先ほど説明のあった通り、国に出さなくても良い、県あるいは市で判断できるというものが、どれかはっきり分かれば良いですよね。今後は。木一本切るのに、現状変更の許可を出されたら文化庁も大変なので、そういうところが重要です。これは、文化庁なりが一番気になるところで、現状変更なのです。現状変更をどういう区分けにして、やっていくのかというのがあるので、102ページの表、これはいらないです。あまり意味がないです。そういう項目が、発掘調査であれば文化庁、樹木の植栽、伐採・伐根、伐根は入れない方が良いと僕は思う。伐採、除伐とかは、長久手市の教育委員会がOKしたら良いと思う。もうちょっとわかりやすく、樹木の枝打ちというのは、これは日常的管理として、除草と一緒ですから、枝打ちというか、枯損木あるいは、除伐とかでも良いですけど、こういう日常的な管理については長久手市で良いです。
【委員長】そうすると、101ページ、102ページと完結していて、現状変更等が不要な行為というのを具体的に知ろうとすると、104ページにいくという構成になっている訳ですね。それを一体にすると長くなるので、むしろこれは参考文献か何かにしても良いのでは。本文に入れるのであれば、現状変更の許可が不要な行為が説明してあって、それが具体的にどんな行為かというのがすぐ次にきた方が、わかりやすいですよね。組織の手続きの流れよりも前に来たほうが良いと思いますが。そこはどういう考えですか。
【委員】結局、法律の条文が書いてあるわけですよ。それは、別にいらないわけです。だから現状変更の考え方は、文化財保護法の趣旨に基づきで良いわけです。それでここに許可区分が105ページの備考欄に書いてあるわけです。法律も。だからその法律の文章を、わざわざここに文章に書いて、やる必要は無いです。他でもよくあるのですが、文章をだらだら書いても誰も読まないです。だから、結果的には長久手市がどれをどう処理するかが重要になります。だからもっと簡潔に書くように。
【委員長】それでは、今の104ページ、105ページに詳しく書きたい場合は、後ろの参考文献に入れて、必要なものだけをこちらの本文のほうに抜き出すようにしてもらったら、今の指摘に合うのではないですか。
【委員】まだ、ありますが、第5章の3の活用の方法、4の管理運営の方法とありますよね。保存管理の基本方針の中にこれが入っているが、今はまだ出ていないけども、第6章と第7章に活用の話が出てきますよね。第6章に整備活用、第7章に運営体制の整備と書いてありますよね。この2つがあるのに、3、4があるとダブっているのではないですか。運営体制の整備にこういうのを書くのではないですか。
【委員長】今日はまだ全部出ていないですね。
【事務局】今日は第5章までです。
【委員長】そうすると、6章、7章で出てくるものが今ここで出しているけれども重複しないかということですね。という質問ですけど、どうですか。
【事務局】それについては、会議前にオブザーバーと話をしている中で、ここに入るべき内容ではないということでしたので、ご指摘のとおり、第6章、第7章を作る中に反映したいと思います。
【委員長】それでは、そうしてください。他にはどうでしょうか。
【委員】追加指定のことですが、106ページに具体的な地番も挙げて書いてあるわけですが、47ページ、48ページの現況を見ていきますと、以前の地形をよく残している場所として、地番で言うと201、207というのがあったと思いますが、東西に通る道路の西側の端のところですね。史跡の追加指定の考え方でいくと、できるだけ当時の地形を残している場所を優先的に考えていく、対象としていくことを考えますが、あと活用の問題とも関連しますが、例えば、ここが除外される理由などがあるのであればというのがあります。それから、考え方として、206番もほぼつながっていますが、広くするのはというわけではないですが、ここの場所は改変されていると言えるので、その辺の考え方、例えば、他の今対象と考えていない場所もこの報告の中で言うと、来た人にとっては一体として見えるんだと謳っている中で、最終的に追加指定をどういう考え方の基に決めていくのかという方針を明らかにした方が良いのではないかと思います。
【事務局】まず、202番は史跡として指定を受けている場所で、その中に203と206があるという状況で、まずもって周りがすでに指定地になっているものですから、203と206の追加指定をまずできないかという考えでいます。ただ、206の部分は、おっしゃるように現状の改変が見られるというのがあるものですから、まず、その辺を現状のまま追加指定に至れるのか、そのあたりは文化庁、愛知県と協議といいますが、その辺が十分必要になってきます。西側の201、207番についてですね、ここはある一定、現状はなだらかな地形で、地形を保っているのですが、整備の方で201番の部分をバスの駐車場に、今改変しようとする整理をしておるものですから、現況の改変が生じる可能性がままあるものですから、この201と207については保全という部分では、追加指定にという方向もあると思いますが、こちらの201と207に至っては、ちょっと追加指定に持って行くのが難しいかなと思っています。
【委員長】今の説明だと、201の一部が駐車場ということですが、207はどうでしょうか。
【事務局】207については整備で手をつけない予定です。
【委員長】であれば、追加指定はあり得るということですね。
【事務局】201も207も、現状の地形が改変されていないかのように見えますが、実際には駐車場として利用したり、車両が入ったりと現在しておりますので、要するに当時の地形を保全できているとは言えません。従いまして、この部分については、国指定史跡地ではありませんので、整備の方を加えるという考え方で検討しているという状況でございます。
【委員】ただ、私も行って見た感じでは、現況図の等高線が指定地とつながるように書かれていますので、状況としては以前の地形をよく残しているのかなと思います。ですが、駐車場の問題をどうするかというのは全体的な話になりますので。
【事務局】追加指定のことで、おっしゃるとおり市の方針として、どういった条件であれば、追加指定していくのか。今は、単純に抜けているからやった方が良いのではないかということしか議論していませんので、どういった方針で追加指定する。こういった条件だったら追加指定するということを文化庁・愛知県の方と協議をして、記載の方向というものを考える必要があるのかなと思いますので、宿題とさせていただきたいと思います。
【委員長】個人的には、範囲が広い方が良いですね。それから、範囲が広くなくても、現状変更だとかの基準を、史跡に準じて、公園にも摘要するぐらいの姿勢が欲しいなと思います。そうしないとやっぱり公園管理が変わっていきそう。一方で考え方として、指定がしてあるところはまあ良いとしても、それでもちょっとでも増やした方が守れる訳です。守れないのであれば、公園の範囲を同じような体で準じて、文化庁に届けなくても、市の方で準じてそういう扱いをするとあんまり改変がしないでうまく状況を守れるということになるので、その二通りの方向があるので、ちょっと考えて頂いたらどうですか。整備計画と調整して頂いて、検討していただくということで。他にはどうでしょうか。本質的価値はよろしいですか。
【委員長】私は、82ページのところをもうちょっと箇条書きにして欲しいです。というのは指定のときの理由が39ページにあるわけです。それとほぼ対応して見ればよくて、そして新たに本質的価値について、時代が変わったので、追加することがあるかどうか、それが再評価。再評価するには、今まで指定の価値がこうだったけれど、時代が変わって、何か新しいものが発見されたとか、掘ってみたら何か出ただとか、通常は。そうすると、今まで考えてたものと違うので、こうしたいというのが出てくる。岡崎だと、指定範囲外に石垣が出た、そうするとそれを入れようか、とか価値を見直そうとかいうことになるので、そういうものをまず最初に書いてもらったら良いのではないですか。あるとかないとか、それから少し環境が変わったとか、指定理由と少し対応させながら、でも地形が入ったわけです。当時の39ページの中には地形がないです。なさそうなので、今回は入れるわけです。そこは再評価となります。だから場合によっては縮景のところも、地形を壊してしまったので、今回は地形を評価しますよということだから、場合によってはそこも昔の地形にするという選択肢も出てきます。しないという選択肢もあるわけですけども。そういうことを考えてみてはどうかと思います。皆さんどうでしょうか。
【委員】本質的価値を掴まえるときは、指定理由書が一番重要だと思います。そこには、先ほど委員長が言われたとおり、地形のことは書いてないです。ここは石碑の事を書いています。だから、その後の変わったと言われるところが、入ってきます。ここが一番原点です。そういう意味では指定理由書で書いてあることは、あとあと見ていく。ここで石碑の事を書いています。本質的価値の中で、石碑が重要だと。その石碑を守るためには、地形とか環境とかいうものが本質的価値に入ってくるとか、そういう論理が出てくると思います。だから、逆になります。一番最初にここの理由書から言えば、碑というのがあって、土地の歴史があって、こういう物語っているものがあって、そういうものを位置づけると地形というのが入ってくる。そして、最後に、その環境という部分では、雑木林というか、景観を維持していくというのを入れたら良いと思います。そういう論理立てかなと思います。この指定の解説文を見ますと。
【委員長】39ページで先ほど委員がおっしゃった通景というのも、色金山から激戦地を、長久手古戦場の現在の古戦場公園をここから望めると書いてある。それも指定の重要な要素になると思う。そうすると、ここも82ページに入れておいて欲しいです。なので、これと見比べながら、落ちているようなことも入れていただいて、それで、再評価のところにも新しい価値観があるとか、前の指定の気持ちがもうちょっと大きくなっているかもしれないというのを入れて、その後、最近の事情も書くというふうにしたらここもできるのではないかと思います。
【委員】先ほど、委員がおっしゃった史跡の国指定というのは、御旗山とか首塚とかこの辺はどうなっていますか。というのがありましたが、39ページの長久手古戦場の後に昭和14年に長久手古戦場、御旗山、首塚、色金山が指定されたとありますが。
【委員長】附という意味で、長久手古戦場ということで、一緒になるのですが、御旗山も首塚も色金山も史跡だけれど、メインではないけれど価値は同じようなものと最近そういう風に言われています。だから正確に書こうとすると附という字は書くことになるのか。
【事務局】正確に言えば、必要です。
【委員長】そうしたら、その方がわかりやすいです。
【委員】今のところに関連しますが、今の構成上で言うと第2章の4のところで附のことが挙げられているのですが、今日の議論の中にもありましたが、長久手の戦いとか、古戦場を知ってもらうとか、紹介してもらうという意味で言うと附部分も含めて、長久手市内にある古戦場というか関連するものをうまくリンクさせながら、整備をしていく、活用していくという観点から考えるとこれはまた詳しくやられると思いますが、構成上でむしろ第3章以下のところで取り組んでいって、全体としてどう関連づけて、どう紹介するかという風に整理した方がわかりやすいのと今後の活用に向けた動きが見えやすいのですが、そのあたりはいかがですか。
【委員長】つまり、来年度は附部分が個別に出てくるのではないかと全体を統合する視点というのはここなのではないかという指摘ですが、それは来年度入れれば良いということですか。
【委員】82ページの本質的価値というところを、しっかり今の段階で確定しておかないと、附にしても、武蔵塚は今回、本当はいれなければいけないが、全体を俯瞰する意味で、その全体の戦いの展開、移動した距離とか、距離感も体感していただくというのが、長久手古戦場に来て初めてわかることですので、それをしっかりと現地に来られた方が認識しえるような場所をきちんと保存していこうと。それから、保存すると同時にその位置関係をしっかり現場に来るとわかるようにしておかないといけないというのと、先ほど委員が言われたように、木がいっぱいで見えません。ということではいけない。と思います。本質的価値を失わせるようなことにならないような樹木の管理状態とか、園路を通じて見せる場所の位置とか古戦場の中をどう移動すると一番史跡を傷めずにずっと管理ができて、さらに、合戦場全体が説明できるのかというあたりを今後の中に、整理していかないと、本質的価値を見失わせてしまうような路道をぐるぐる歩き回って、木が露出して、土流れが起きてしまうことが起きてはいけないわけですから、その辺を意識していこうとすると本質的価値がどこなのかということと、それから史跡を拡大していくという部分で、どこを拡大していく必要があるのか、本質的価値にかかっているので、その文章の記載については慎重にないしは、敏感に反応していただけるように書く必要があると思います。当然、富士浅間社さんの位置付けだとか、それ以外のことも含めてでございます。
【委員長】今、委員がおっしゃったようなことを伺うと、国の史跡だけじゃなくて、市の史跡も指定すれば良いじゃないかというか、例えば景観の中で重要だという指定をしてあげるだとかという話で、長久手古戦場の全体を抑えていくようにした方が良いかもしれません。今は国指定のとこだけ書いてしまっている。でも、普通の人からすれば、そんなものは関係なくて戦いがどういう風に展開されたかということをしっかり抑えていただいて、その重要なところが国指定だけど、そうでないところは市とか景観でフォローしていけば、場合によっては、空間がとれれば、新しい石碑が建てられるとか、そういう風になっていく。これはそういう風に見えます。
【オブザーバー(愛知県)】まず、84ページですが、史跡を構成する要素の中の保存活用に資する要素に長久手古戦場野外活動施設(その他施設)とあって、たぶん和弓場の事だとは思いますが、これがここで良いのかということが一つ。それから86ページに本質的価値を構成する要素の中の樹木のところに、園芸種や外来種も見られふさわしくない、という文章があるが、これはここの中ではなくて、隣の章に入れたほうが良いと思います。あと表が何ページかに渡ってあるのですが、見にくいと個人的に思いますので、例えば前と重複する写真だったりとかは最低限必要なものを除いて削除していただければと思います。それから、現状変更についてですが、これを考えている中でちょっと漏れているところもあると思いますので、そちらについては、市と国と調整しながら中身の作り直しをしていただこうかと思っています。追加指定についても先ほどの形でやっていきます。それと、事前に文化庁の調査官から見た中でのご意見がありましたので、委員の方がおっしゃったこともありますので、繰り返しにはなりますが、まず、石碑や塚については、解説がもう少し頂きたい。石碑が建てられた歴史的背景に触れてもう少し説明してくださいというのが一つ、それから、先ほど活用の話もありましたが、活用の一つとして整備があるということなので、整備がない活用についてもっと考えて頂きたい、これは次の章に出てくるかと思うので、よろしいかと思います。以上です。
【委員長】では84ページのところで指摘があって、私は景石という言葉に引っかかり、やはり本文にある中の石造物と書いてあったので、そちらの方が良いのではないか。景石ってやはり特殊な用語です。造園の。
【委員】この石というのは、亀のような形のものですか。亀の場合は、石造物です。景石の場合は自然な石ですから。
【委員長】それから、85ページの松本さんから指摘していただいた、ここの表が読みにくいのは、構成要素の説明と課題が一緒に書いてあるからです。だから、そこに線を引いて、分けて欲しい。例えば、87ページ、石碑の勝入塚があって、大きさがこれくらいです。とあって、次に5度傾いているとある。課題が書いてあるので、中で線を引いて、ここで切ってもらって、そして先ほど文化庁の方から指摘みたいにこの石碑の意味みたいなものをここに書いて、そこにサイズとか物理的なことを書いて、線を引いてその後に課題を書いてもらったほうが見やすくなるような気がします。写真はそのとき整理すれば良いと思います。それが他のページも皆同じです。そして、96ページのところに和弓場の写真が入っていますが、これは必要ですか。これは保存活用に資する要素か。アンケートを見ると、半分以上の人が分からないと書いてあった。それで2割ぐらいの人が残して欲しい。2割ぐらいの人がなくても良いと言っている。つまり、古戦場公園の中に和弓場がある存在意味がわからないというのが大半です。アンケート調査では。だから、少数意見で写真を入れるのはやめて欲しいのですが。どうですか。
【事務局】抜く方向の方がよろしいかと思います。
【委員長】このページは、保存活用に資する要素だから、写真はなくてもよいかと。工夫してください。
【委員】現状の課題のところで、さっきから色々と分析して、今後の計画に結びつけないといけないのと、もう一つが植栽・樹木についてとありますが、植栽管理計画を立てないといけないということです。細かいことではなくて、やはり史跡の樹木管理をしっかりやるためには管理計画を立てないといけないという風に書いてもらったら良いと思います。細かいことはこれから管理計画を立てれば出てくることなので、そうしたら良いと思います。樹木については、植栽管理計画を立てて、その中身は、短期や長期やいろいろあるとは思いますが、その中で外来種は植えないとか先ほどいったサクラの話も出てくるし、そういう計画になって、ただ単にサクラを枯れたら切ってとか、ヤマザクラにしようというのは一つの考え方だが、そうじゃないかもしれない。もうちょっと検討したら、サクラでもここのサクラに河津サクラがあるかは分かりませんが、そういういろんな選択肢がありますので、あまり細かいところまでやらずに植栽管理計画を立てることによって、例えば、サクラの方針の場合にはヤマザクラ等に品種を変えていくこともあるというのが出てきたりとかという方が良いと思います。
【委員長】他によろしいでしょうか。先ほどお寺に古文書があるという話でしたが、それはどこの石碑に関係するのでしょうか。
【事務局】安昌寺です。江戸時代に尾張藩士達が長久手古戦場を旅したということが記載されていたりという内容のものです。
【委員長】それはどこか資料に出てこないのでしょうか。古文書という形で。
【事務局】今は表記していません。
【委員長】入れる予定はあるのでしょうか。
【事務局】現物を確認してからと思います。
【委員長】そうですね。読んで頂いてから、尾張藩士がどう行った、歩いたという図があると楽しいです。そうすると、それらは展示する場合の貴重な資料にも使えるし、ここの中にも保存していこうとか、そういう風に方針が入ってくると良いと思います。
【委員】先ほど言った現状と課題のところで、98ページ(3)1のところで看板類についても書いてあります。QRコードとか。ここは管理方針の中の、100ページの(2)の計画的な園路やサインを設けとあるが、これはサイン計画だと思う。なのでサイン計画というものも、先ほどと同じように、ただ計画的な園路やサインを設けではなく、もうちょっと計画レベルにしておいた方が良いと思う。ここは、現状の課題としては看板類というのが整備されていないということで良いと思います。こちらの方には、サイン計画というような文言にしておいた方が良いと思います。もう一つ、活用の課題の整理課題というのは、先ほど聞いていると歴史案内人というような方がいるという話です。今後ここを文化庁もよく言うように、どう活用するかという話があるので、もうちょっと別のところで展開されると思いますけど、現状であればどういう活動でどう使われているか、ここの古戦場をどう活用しているかみたいな事が、どこかで書かれていて、それをもう少し、次の6章の中で、展開させるような話を書くということ。そのためには少し勉強みたいなものがいるのではないかという気がします。どこでも良いですが。活用のところで、一つのきっかけみたいなことに、前あったと思いますが、お祭りしているとか、そのことを書いてないです。だから、これからもっと活用してもらう前に、ここの長久手古戦場で現在されているお祭りであるとかイベントとか、あるいはボランティア団体とかそういう人の存在を書いておいてもらった方が、来年以降の議論につながると思います。
【委員長】他によろしいでしょうか。では、この件については、今頂いた意見等を確認して、整理していただきたいと思います。
2 その他
次回委員会の開催日について
次回は平成29年8月末頃を予定している。資料等の準備の都合で前後することがある。
資料
資料1:史跡長久手古戦場保存活用計画策定委員会委員名簿
資料2:第1回委員会議事録要点 (PDFファイル: 199.3KB)
資料3:第1回からの反映事項について (PDFファイル: 143.7KB)
資料4:第2回史跡長久手古戦場保存活用計画委員会資料 (PDFファイル: 5.1MB)
資料5:史跡長久手古戦場保存活用計画策定スケジュール (PDFファイル: 89.5KB)
会議資料につき、資料の転用は一切不可。資料画像については、高圧縮加工をしています。
この記事に関するお問い合わせ先
くらし文化部 生涯学習課 文化財係
〒480-1196 愛知県長久手市岩作城の内60番地1
電話番号:0561-56-0627
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更新日:2021年02月01日