長久手に残るいいつたえ

更新日:2020年11月30日

三ケ峯のウワバミ

昔、岩作三ケ峯は樹木が生い茂る森で、その近くの農家の人々はこの山で鳥や獣、薪を取って暮らしていたそうです。
弘化四年(一八四七)のある日の夏の日、倉地滝蔵という若い農夫が、山に入って薪を取っていました。谷間で何か音がするので見てみると、身の丈一メートル五十センチほどもある蛇が兎をくわえていました。滝蔵は兎を助けようと蛇に近づいていきました。すると、蛇はみるみるうちに十メートルほどの大きさになり、滝蔵に向かってきました。大蛇は天高くかま首をもち上げ、今にも襲いかかろうとしたので、滝蔵はおそろしくなって逃げ帰りました。
村に戻った滝蔵は、大蛇との戦いの様子を岩作の画工樵玉に話しました。樵玉は「それはウワバミであろう。よく無事に帰ってきた」と言ったそうです。滝蔵は難を逃れたことをうれしく思い、樵玉に頼んでウワバミの有様を額面に写してもらうと、それを安昌寺に納めたそうです。

背景に山々や文字が書かれ、中央に大きなうわばみが描かれてある絵

長久手市役所から東へ数百メートルの安昌寺には、「三ケ峯のウワバミ」の額が今も大切に保管されている。ちなみに三ケ峯とは、現在の愛知県立芸術大学から愛・地球博記念公園にかけての一帯にあたる。

八左衛門の墓

今から約二百年前、寛政年間のことです。岩作村に八左衛門という男がいました。

八左衛門は大食いで、生まれつきの乱暴者。村人を殴ったり、酒に酔って田畑を荒らす悪行三昧だったので、村人も困っていました。

ある日とうとう、「八左衛門をこのままにはしておけんぞ」と、村の庄屋さんが村人に呼び掛けました。そして村人みんなが力を合わせて八左衛門をとらえ、首から下を地中に埋めました。それでも強情な八左衛門は、なかなか反省の色を見せようとはしませんでした。しかし、そのまま何日か過ぎるうちに体が衰弱してきて、そして、死ぬ間際にはついに改心したとみえ「首から上(頭、目、耳、鼻、口、歯)の病がある者はわしに祈れ、必ず直してやる」と言い残しました。

死に際にあっても詫びの言葉を出さなかったが、ありったけの詫びの気持ちが八左衛門を仏にしたのでしょう。その後、「八左衛門はたいへんな大食家だったでなあ」と村人は食べ物を供え、病気を治すためにお参りするようになり、お地蔵様が建てられました。

祠の中に安置されている地蔵菩薩像が道路脇に設置されてある写真

首から上の病気を治すと言われる「八左衛門の墓」。小さな祠に安置された小さな地蔵菩薩像で、長久手市役所から南西の田園地帯の一角に今もある。

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