古戦場ウォークマップ

更新日:2020年11月30日

古戦場マップ

1 勝入塚(武蔵塚204)

池田勝入斎恒興(信輝)が戦死したと伝えられる場所。秀吉に味方した恒興は、ここで家康の本隊と戦い戦死した。  

頂上が尖った形をした石碑のある勝入塚の写真

2 庄九郎塚(武蔵塚204)

勝入斎恒興の長男、池田紀伊守が戦死した地と言われています。紀伊守は幼名を庄九郎といいました。  

墓石に囲まれた大きな石碑が立てられている庄九郎塚の写真

3 武蔵塚(武蔵塚906)

勇猛果敢な武将として知られ、鬼武蔵と呼ばれた森長可。岡崎城攻めに失敗し、ここで命を落しました。長可は、本能寺の変で信長とともに戦死した森蘭丸の長兄です。  

石で造られた台形の土台の上に細長い石碑が立てられている武蔵塚の写真

4 御旗山(富士浦602)

羽柴(豊臣)秀吉方の池田・森両隊の様子を伺いながら、色金山に進軍した徳川家康は、この御旗山の頂上に金扇の馬標を立てました。  

石で囲まれた中央に石碑が立っている御旗山の写真

5 色金山(岩作色金37-1)

小牧山を出た徳川家康は、矢田川を渡り、名古屋市守山区の辺りから東へ回り込み、色金山に達しました。この山の山頂から四方を見渡しながら軍議を行ったといわれています。その時に家康が腰掛けたといわれる「床机石」が、今でも山頂に残されています。  

2つの巨石のある前に建てられた縦長の石碑のある色金山の頂上の写真

6 首塚(岩作元門41)

長久手の戦いの後、岩作・安昌寺の雲山和尚と村人たちが、合戦の戦死者をここに埋葬し、塚を築いて手厚く供養しました。  

塚と祠が建てられいる首塚の写真

7 長久手城趾(城屋敷2408)

徳川方の丹羽氏についた加藤太郎右衛門忠景の居住趾。忠景の戦死後、城は荒れ果ててしまいました。  

植木の奥に建てられた、四角の大きな石碑のある長久手城趾の写真

8 木下勘解由塚(荒田9-1)

秀吉方の三好秀次に馬を与え、逃亡させた木下勘解由。徳川勢と戦いここで戦死したと言われています。  

大きな石で造られた石碑の建つ、木下勘解由塚の写真

9 堀久太郎秀政本陣地跡(坊の後113)

桧ヶ根に陣を張り、徳川勢を打ち破った堀秀政。本陣地跡の石碑は、現在桧ヶ根公園内に移されています。  

木々が生い茂った場所に細長い石碑が建てられた、堀久太郎秀政本陣地跡の写真

10 安昌寺(岩作色金92)

合戦の折、敵味方の別なく死者の首を集め手厚く供養したという雲山和尚の寺。  

門の奥に2つのお堂が建っている安昌寺の写真

11 教圓寺(岩作東島103)

家康が色金山から御旗山に移るとき、この寺に立ち寄り、本尊に戦勝を祈願したといわれます。  

大きなお堂の建つ教圓寺の写真

史跡めぐりおすすめコース

仏ヶ根決戦コース(所要1時間)

郷土資料室 → 1.勝入塚 → 2.庄九郎塚 → 3.武蔵塚

家康進軍コース(所要2時間)

5.色金山 → 10.安昌寺 → 6.首塚 → 11.教圓寺 → 4.御旗山 → 郷土資料室

史跡全コース(所要半日)

8.木下勘解由塚 → 9.堀久太郎秀政本陣地跡 → 4.御旗山 → 7.長久手城趾 → 3.武蔵塚 → 2.庄九郎塚 → 郷土資料室 → 1.勝入塚 → 11.教圓寺 → 6.首塚 → 10.安昌寺 → 5.色金山

この記事に関するお問い合わせ先

くらし文化部 生涯学習課
〒480-1166 愛知県長久手市野田農201番地

電話番号:0561-61-3411

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