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ながくてハッケン伝 その1 「初代村長は歴史上の人物?」

  • 2013-08-19 (月) 9:58
  • 未分類
  • 作成者:モリゾー1104

昨年1月に市制を施行したわが街。最近では、某経済紙の特集記事“住みよい街ランキング”で全国第六位(昨年は第七位)ともてはやされ、ここのところ話題に事欠かない状況ですが、その歴史について少し振返ってみたい。

文献等によれば、1906年(明治39年)に当時あった3つの村(長湫村、岩作村、上郷村)の合併により、「長久手村」が誕生した。その際、合併前に村長を決めるにあたり、村どうしの主導権争いが生じたため、村民以外からの首長の選任が強く望まれ、「吉田 知行(よしだ ともつら)」が初代村長に就任することとなる。「吉田」といっても、現在の市長とは全く関係がありません。(もっといえば、「吉」の文字の上のつくりが「士」と「土」で明らかに異なっている。)

ところが、実は吉田知行なる人物が日本の歴史に名を残す人物だったのである。彼は、幕末に生まれ、父親がこの長久手に禄高400石の領地を持つ尾張藩士だったようである。当時の尾張藩主だった「徳川慶勝(会津藩主の松平容保の実兄)」の側近として活躍する、さらに、明治維新後、生活に困った尾張藩士たちを北海道に移住させる際のリーダー役を果たすこととなる。北の過酷な自然の脅威と闘いながら、現在の八雲町の礎を築くのである。

徳川慶勝の生き方を題材に、権力者の命令や組織の非情さを描いた城山三郎著の歴史小説「冬の派閥」にも、吉田知行が北海道の開拓を、それこそ命をかけて推進した人物として書かれている。そういった経歴を持つ初代村長は、自宅を役場として地域に尽くしたが、数年後に胃がんを患ったため、自らが開拓した北海道八雲町に戻って亡くなるのである。

※「徳川慶勝」は今年が没後130年にあたり、現在、徳川美術館で夏季特別展として「徳川慶勝」が7月27日から9月23日までの予定で開催されている。

 

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