長久手の民俗資料からみえてきた 明治・大正・昭和のながくて

 長久手市は、今から約50年前の昭和40年代頃から土地の開発が進むまでは、主に山野が広がる農村地域でした。
 それより前、電気・ガス・水道が家庭に広まるまでは、暗やみを照らすのはろうそく、食事の用意やおふろの燃料は薪、水は井戸から汲み出すなど、身近にある田畑・山野から得たものを利用していました。
 産業の中心は農業でした。農業も、道具の動力機械化が進むまでは、人力や牛や馬などの家畜の力を使いました。人々は四季の年中行事や農事暦(のうじごよみ)にあわせ、田植え、稲刈り、祭りなどを家族総出でおこなっていました。
 明治以降は、この地域も現金収入を求めて換金作物(かんきんさくもつ)の栽培を積極的に取り組む農家が増えました。養蚕が代表的でしたが、世の中の動きとともに衰退していきました。

 長久手市は、平成25年度緊急雇用創出事業で、長久手市の保管している民具、古文書、書籍、写真など9,000点におよぶ歴史資料の整理をおこない、資料を分類、データ化する事業をおこないました。
 その整理・分類作業の中から、みえてきた明治・大正・昭和のながくてのくらしの一部を紹介します。

長久手の農作業(のうさぎょう)
 長久手では、明治・大正・昭和にかけて動力機械が普及するまで、さまざまな農具を使って、穀物、豆類、芋類などを中心にいろいろな作物が作られていました。
 今では、あまり見かけなくなった農具を中心に、当時の農作業の様子を見てみましょう。
長久手の養蚕(ようさん)
 昭和のはじめまで、世界トップシェアを誇った日本の絹。
 長久手でも当時は、養蚕が盛んにおこなわれ、最盛期は、長久手地区の農地の約半分が蚕のえさとなる桑畑だったといわれています。
 今では、あまり見かけなくなってしまった養蚕について見てみましょう。
長久手の暮らし(くらし)
 今では、あたりまえになっている電気・水道・ガス。
 これらのインフラは、明治から昭和の中頃まで、時間をかけて、長久手にもに普及していきました。
 電気・水道・ガスが行き渡ってない中で、長久手の人々がどのように生活していたのか見てみましょう。
長久手の風景(ふうけい)
 昭和の後半から、長久手では大規模な区画整理・土地改良等がおこなわれ、それまでの山野が広がる農村風景は一変しました。
 今では埋め立てられてしまった「血の池」など、昭和40年代頃の写真と現在の写真を比べて、景色の変化を見てみましょう。